最近よく思うのです。
テニスが出来る日常って随分クオリティーの高い人生だって。
誰が考えたかわかりませんけど、世界中同じ広さで同じ長さのラインが引かれたテニスコートで、まったく違う人生を過ごしている他人へボールを打ち!打たれる!連続の快感。
この快感と非日常を味わえるって豊かだと思うのです。
日本人は部活の影響かスポーツをなんでも競技にしたがりますから、スポーツはスポーツが得意な人だけが楽しめる特権みたくなってしまいがち。
テニスをしていた人だけが社会人になっても続けていける傾向が高くなっています。
テニスが上手いからって偉いわけでもないのに、利権を得たり、得をしたり。
そんなことに私は何の価値も感じません。
テニスをする、テニスコートでただラリーを繰り返すだけで得られるクオリティーの高い人生を、多くの日本人に味わっていただく、それが役目だと思っています。
正直、20際〜30歳頃にくらべてテニスが好きではなくなりました。
爆弾発言ですかね(^_^;)
でももう一度猛烈に好きになろうと思っています。
家族、親戚縁者30人ほど思い浮かびますが、テニスをしているのは私一人だけ、そんな状況を変えていきたいのです、
社会人になって生まれて初めてラケットを握っても、市民大会や草大会に出場するモチベーションを得て、誰に気兼ねすることも臆することもなく満足感を味わえる様な環境や仕組みは作れないものか?
優勝する人は、沢山テニスができて、勝つ喜びを味わえるから賞品はそれで十分。
優勝者よりも1回戦で負けた人が一番満足感を得られる様な仕組みが構築できれば、テニスは圧倒的なスポーツ産業として成長できます。
そんな状況が結果的にプロを目指す選手達を経済的に支える土壌となり得るのです。
こんな妄想が出来るほど日本は平和です。
この平和が続きます様に。
西山克久。